ここだけの話、公務員を辞める本当のキッカケがありました。

僕の公式LINEに登録してくれた皆さんにだけ告白します。

公務員を辞める本当のキッカケ。

 

ここだけの話、僕には公務員を辞める本当のキッカケがあって、

それは30歳の頃に経験した、『母の死』でした。

 

もちろん他にも、「もっと挑戦したい」とか、「残り30年以上も公務員を続けてられるか!!」とかありましたけど、最大のキッカケは母の死だったんです。

 

僕は15歳で田舎を出て、甲子園を目指して野球留学をしたんですが、母には本当に心配かけました。

田舎でちょっと野球が上手かった程度の僕が、名門野球部に入ったらそりゃ挫折挫折の連続で。

自分で望んで出て行ったくせに、数ヶ月後には「辞めたい」と弱音を漏らすこともしばしばありました。

 

でもそんなとき、決まって母は「いつでも帰ってきなさい」と言うんです。

僕が挫折を乗り越えれるようにと、三千羽鶴を折ってしまうほど子供想いの母でした。

その優しさがまた情けなくて辛かったのを覚えています。

 

その後、母親の支えもあって無事に高校生活を終えた僕は、そのまま都会で専門学校に通い、『救急救命士』の国家資格を取得して消防士になりました。

なので、母と一緒に暮らした記憶がしっかりあるのは10歳~15歳の5年間くらいなんですよね。

(小4以前のことは、ほとんど覚えてないので、、、)

 

それから月日は流れて、僕が30歳になった頃。

母は60歳という若さでこの世を去りました。すい臓癌でした。

 

『沈黙のガン』と言われるくらい発見が遅れるのがすい臓癌の特徴で、母の体から癌が見つかった頃にはだいぶ進んでいたこともあって、、

母は医者から、「抗がん剤が効かなければ余命半年」と告げられたんです。

 

それからは本当に色々ありましたが、簡単にいうと闘病むなしく結果的に余命宣告から8か月ほどでこの世を去りました。

(いつか気持ちの整理がついたら当時の心境を書きたいと思ってるところです。)

 

 

大した親孝行もせずに、実家にもほとんど帰ってなかった僕は、後悔という言葉では片づけられないくらい後悔しました。

毎年健康診断に行き、ジムで汗を流すくらい元気だったし、長生きに前向きだった母だったこともあって、いつでも親孝行できると思っていたからです。

 

と、暗い話になりましたが。

 

今回なにを伝えたいのかというと、

『人生のキッカケなんて自分で勝手に作っちゃえばいい』ということです。

 

僕の場合は母の死。病床で息を引き取る母の姿をみて、

「この人に貰った命。ダラダラ生きてる場合じゃない。しっかり燃やそう。」と思いました。

 

そのまま公務員として平穏に暮らす選択をしてもよかった。

でも、僕は母から「人生はマジで1回きりだから挑戦しなさい」と言われたような気がしたんです。いや、そう思いたかったのかもしれません。

 

つまり、僕は母の死を『都合の良いようにキッカケ』にしたわけです。

たぶん母は安定志向な性格なので、生きていたら大反対だったと思いますが、、

 

僕もそうですが、やらないための言い訳は簡単に出てきます。

でも、時にはやりたいことをやるための言い訳みたいのがあってもいいと思うんです。

 

なのであえて、少しでも僕に興味を持ってくれた方にだけ伝えたかったのでこんなコラム的なことを書かせていただきました。

 

キッカケはほんとになんでもいいと思います。

聞き飽きた言葉ですが、『人生1回』はホントのようです。

 

「就職して〇〇年経ったから」でも「子供が生まれたから」でも何でもいいので、自分に都合の良いキッカケを作って挑戦していきましょう!